自己啓発セミナーとは何か


二澤雅喜『洗脳体験』(宝島社)
二澤雅喜『洗脳体験』(宝島社)

さて、
体験的心理療法の説明をすると、
人によっては、
かつて流行し、社会問題にもなった、
「自己啓発セミナー」を連想したりします。
ここでは、その関連について、
分析してみたいと思います。
 
 
◆自己啓発セミナーの系列
 
日本で広まり、現在も、
多くの系列が残っているもの(大部分)は、
ライフダイナミック社のものです。
これは、おそらく、その名のとおり、
アメリカの「マインドダイナミックス」と
「ライフスプリング」とを合わせたものでしょう。
 
また、自己啓発セミナーを語る言葉の中に、
ベトナム帰還兵用プログラム云々というものがありますが、
実際のプログラムを見ても、
戦争後遺症をケアできる内容などないので、
おそらく、作為的な作り話か、都市伝説でしょう。
また、同じく、プログラムのデザインに、
ゲシュタルト療法家が関わったという記述もありますが、
ゲシュタルト療法家といっても、
昨今のNLPer(NLP実践家)のように、
当時は、ゲシュタルト療法家も、
雨後の筍のようにいたでしょうから、
実質的には、意味のない肩書きでしょう。
(ゲシュタルト療法では、そもそも、
その時の、クライアントの内的欲求に従わない表現は、
行なわないものです)
 
 
◆洗脳的プログラムとは ―「複数の自我」について
 
さて、自己啓発セミナーに関係して、
よく「洗脳」という言葉が使われます。
(上記、ライフダイナミック社のセミナーについての
ルポも、『洗脳体験』という書名でした)
 
この洗脳について、
一般的なイメージ(理解)に、少しズレがあるので、
記しておきたいと思います。
 
一般に、「洗脳」というと、
何もないところ(人)に、
任意の情報を流し込んで、
その人(被洗脳者)を、
こちら(洗脳者)の意のままにプログラミングしてしまう、
というイメージがあります。
しかしながら、
それは少し違います。
 
洗脳的な症状が、生じる場合、
そこには必ず、事前に、
その人(被洗脳者)の内部に、
潜在的に、「洗脳に呼応する因子(欲求、自我)」が、
微少であれ、あらかじめ存在しているのです。
無からの、洗脳ということは起こらないのです。
(→別サイト「複数の自我」)
 
そして、
その人の、その欲求(自我)部分が、
ある状況の中で、プログラムの力を借りて、
急激に覚醒して、
他の欲求(自我)を圧倒することにより、
洗脳的な症状が現れて来るのです。
 
しかし、実際のところは、
その欲求(自我)部分は、そういったニーズを、
どこかで潜在的に持っていたのです。
 
私たちの中には、
さまざまな欲求(自我)の潜伏と、
ニーズがあるものです。
それ自体は、問題ではありません。
その分裂と歪み、気づきの欠如が、
問題的であるのです。
 
洗脳者側は、
人々の潜在的な欲求を、
類型的・直感的に知っており、
その欲求が、
自分たちのプログラムによって、
誘導・強化されるように操作を行なっていくのです。
また、コミットメントを深めるように、
物語化を行なうのです。
 
さて、
この洗脳に呼応する欲求(自我)は、
人格の全体性の中では、
「部分的」なものです。
そのため、通常は、ある程度、時間が経つと、
心の全体性の中で、
その突出した欲求(自我)部分は弱体化して、
霧散していきます。
心の全体は、基本的には調整機能があるからです。
 
普通は、洗脳状態は、
心の全体性の中では「不自然」であるがゆえに、
自然のプロセスの中で解消されていきます。
そのため、
洗脳を維持するには、
ある種の「不自然な強化」が必要となります。
そのための仕掛けを、
自己啓発セミナーの主催者は、
理解しているわけです。
「勧誘活動」などはその動機付けです。
 
他者への勧誘活動とその達成によって、
その欲求(自我)部分が、生き残れるように、
主催者は、動機付けを行ないます。
そのため、
その欲求(自我)部分は、自己が生き残るために、
必死に、他者への勧誘活動を行なうわけです。
勧誘が成功すれば、その分だけ、
その欲求(自我)は、生きながらえられるので、
強迫的に、次の勧誘に挑みます。
こうして、勧誘と動機付けの、
サイクルが形成されていきます。
  
 
◆自己啓発セミナーと体験的心理療法との違い
 
さて、それでは、
自己啓発セミナーと、
通常の体験的心理療法の違いは、
どこにあるのでしょうか?
 
一番の大きな違いは、
欲求(自我)の自発的プロセスです。
 
自己啓発セミナーでは、
体験的心理療法で起こって来るような、
真の自発性的な欲求プロセスが生じないのです。
 
洗脳的なセミナーの特異な力(効果)は、
参加者の、セミナーに呼応する欲求(自我)が、
プログラムの力を借りて、
日常的な自分(その他の欲求・自我)を、
圧倒することにあります。
 
しかし、
借り物の力(枠組み)による、
部分的自我の解放には、
つねに操作的・恣意的な要素があるため、
ニセの解放という印象が残ります。
 
そのため、それは、
中途半端な、
「部分的」「表層的な」解放に、
とどまざるを得ないのです。
深部から湧出して来る、
自発的で全体的な、人格的解放は起きないのです。
 
それが、自己啓発セミナーが、
「なぜ、本当には深まらないのか」
の理由です。
 
「変化は起こすものではなく、起こるものだ」
とは、ゲシュタルト療法のフリッツ・パールズの言葉です。
 
そのため、
自己啓発セミナーでは、
真に深いレベルでの人格的変容は起こらないのです。
 
しかしながら、
体験的心理療法を行なう者は、
自己啓発セミナーの仕組みや、
それが、何故、相変わらず、
人を惹きつけるのかを、
よく研究する必要があります。
そこには、
現代社会が欠落させているものつけ込む、
周到な方法論が、
考えられているからです。